秋に開催する夢の大棍棒展2025では、新機軸として「抗朽曝露芯材棍棒」シリーズを展開する予定だ。現在準備を進めている。

以下に、長くなるがどんなものか紹介しておきたい。
抗朽は造語で、読みはコウキュウ——ここには高級、恒久という意味合いも込められている。
もっとわかりやすいカジュアルなのがお望みなら、ドリーム棍棒でもトレジャー棍棒でもパワーウッド棍棒でもまあいい。
前提として、木には芯材と辺材と呼ばれる部分がある。例えばスギやヒノキの丸太の断面(木口)を見た時、中央部の色の濃い部分が芯材で、その周縁の色の淡い部分が辺材である。芯材と辺材の色の違いがほとんどない樹種もあるが、一般に芯材のほうが辺材よりも耐朽性がある。

とはいえ、だいたいの日本の木は枯れたり倒れたりして死んだ場合、ほどなくして虫や菌の餌食となって芯材までもがさほど時間を経ずに分解されていく。結局のところ、芯材は辺材に比べれば腐りにくいというだけで、永く元の状態を保てるほどの耐朽性ある芯材を持つ木は多くない。
だが、数ある樹木の中で少数派ではあるものの、芯材が際立って腐りにくい樹種がある。おそらく腐朽菌が分解しにくい成分を多く含有しているのだろう。日本の木でいえば、クリを筆頭に、クワ、サクラ、ウメ、コナラ、ミズナラ、ケヤキ、キリ、ヒノキなどの芯材は腐りにくく、野天に晒されていても状態が変化しにくいようだ。
もちろん、芯材が高い腐朽耐性を持つ木であっても野外環境で永いあいだ曝露されつづければやがては土に還る。けれども、この種の木々は辺材が分解されてからも芯材がしぶとく持ちこたえるので、その間に夢の時間が生まれるのである。
これらいわば耐朽樹種は、しかし、森の中では他の朽ちつつある木とさして見分けがつかない。というのも、どの木も辺材が造作もなく分解されることに変わりはなく、みすぼらしく朽ちたそれらが芯材にまとわりついていたり、辺材が全部腐り落ちていたとしても芯材表面には決まって汚れが付着しているからだ。つまり、内側に未だ腐っていない芯材を隠し持っていてもいなくても、枯れ木はおしなべて白っぽく薄汚れた姿をしている。

森を歩いていると、白骨化した木々はそこかしこに立っていたり転がっていたりする。多くの人はその内部に眠っているかもしれない秘宝のことなど知らずに、見たことさえ忘れて通り過ぎてしまう。もっとも、すでに中心まで朽ち果て、かろうじて木の形を保っているだけのものも多い。が、それらに混じって、磨けば光る「原木」がたしかに存在する。
抗朽曝露芯材棍棒とは、このような耐朽樹種の芯材原木を山からサルベージし、汚れを落とし、磨き、棍棒に加工したものである。なるほど、生木から辺材を全て削り落として棍棒にしたものも芯材棍棒とはいえる。だが、そもそも芯材はその樹木がかなり大きくならなければ満足に形成されず、そのため生木から芯材を取り出すのは辺材を削る量が膨大で多大な労力を要するものとなる。それに、そうして人間が骨を折って勝ち取った芯材であっても、分解者や気候による度重なる洗礼を受けながら年月の重みに耐えてきた抗朽曝露芯材のあの傷だらけの威厳を帯びた風合いには到底敵うものではない。
抗朽曝露芯材を山で探すのは篦棒に楽しい。すでに述べたように枯れ木はどれも見た目が似ているため、持ち上げてみたり一部を切ってみたりしなければ、それが耐朽樹種であるかどうかがわかりにくい。時間が経ちすぎていてそれが耐朽樹種であっても手遅れだというケースも普通にある。夢の時間は限られている。しかし、ハズレが多いからこそ宝探しは燃えるというものだ。高級芯材の存在を知ってからというもの、わたしの山を見る目は更新された。枯れ木も山の賑わいどころの話ではない。とんでもない。生木はもちろん、枯れ木さえも棍棒になりうる山林は、文字どおり宝の山となった。

わたしはつねづね、棍棒をとおして木の価値を打ち出し、山林への関心を醸成したいと考えている。従来の生木を削った普通棍棒も棍棒という時点でインパクトがあるので、この目的を十分達成しうるものではある。ただ、棍棒という今や新しいモノの価値の受け皿自体を新たに構築する必要もあり、そこに難しさがあるのは否めない。ではもし、既存の価値判断の様式を流用できたとしたら? ——棍棒の普及は今よりもずっと容易になるはずで、ひいてはそれは、山林に人々の目を向かわせやすくなるということをも意味する。
宝石が価値を持つことを今さら誰も疑わない。宝石の価値は、美しくて稀少で恒久性があることによって強固に裏付けられている。そして、この美・稀・恒の価値要素は、そのまま抗朽曝露芯材棍棒にも見られるものだ。実際、抗朽曝露芯材棍棒は普通棍棒と比べて明らかに異質である。森林で熟成された深い色味と歴戦の老兵を思わせる渋い風格を備え、元来産出することが稀で、その輝きの不朽であることは、「宝木」といって差し支えないように思われる。ただし、これら宝木が宝石と異なるのは、もともと生きていたという点だ。生物が他ならぬ生きることによって体内にこのような物質を作り出すことはまったくもって驚嘆に値する。この興味深い事実を加味すれば、抗朽曝露芯材棍棒は宝石に比肩するものと言ってもいいはずで、彼らの登場によって棍棒運動が加速されることはやはり疑いようがないのである。

耐朽樹種についての情報が少ないことも、抗朽曝露芯材棍棒にまつわるロマンをいっそう掻き立てる。上でも言及した樹種——クリ、クワ、サクラ、ウメ、コナラ、ミズナラ、ケヤキ、キリ、ヒノキについては、それらが材として広く利用されてきたために芯材の耐朽性に関する情報がネットなどでも見つけられる。が、例えばウバメガシは、非常に硬いであるとか、備長炭の原料であるとか、生垣に用いられるといった情報はあっても、芯材の耐朽性に関する情報は皆無と言っていい。それは、ウバメガシがさほど大きくならず、さらに芯材が形成されにくく、材としての用途が限られているために、この木の芯材に関する経験と知識が蓄積されてこなかったからだと思われる。かくいうわたしも、今年に入ってからたまたま比較的大きなウバメガシを伐る機会と近くに落ちていた同種の曝露芯材を拾う機会があり、それによってこの木の芯材やその耐朽性について知ることとなったところだ。おそらく、知られていないだけで、こうした抗朽芯材を有する樹種は他にもあると思う。この時代に未開拓の地平がまだ存在するという、まさに夢のような事態である。
2021年、現代棍棒が突如として現れ、我々に夢を与えてくれた。そして今ここに、抗朽曝露芯材棍棒が登場した。彼らは夢を大いに膨らませてくれる。大きな夢が転がってきたからには、我々はますます人生を棒に振るしかないだろう。

ちなみに、今わたしはノリウツギの芯材が大変気になっている。
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