仏跨ぎか地獄跨ぎか

棍棒飛ばし(KONBOU)において、攻撃側は殴打棒を振り下ろして被打棒を飛ばすが、その殴打型には二大流派が存在する。正面打ち下ろし型の「仏跨ぎ[ホトケマタギ]」と、斜面打ち下ろし型の「地獄跨ぎ[ジゴクマタギ]」である。もちろん殴打者によって打形に差異はあるものの、それらは仏跨ぎか地獄跨ぎの中のバリエーションにすぎない。

仏跨ぎは、セットした被打棒に対して身体を正面に向けて打つ殴技であり、両腕がそれぞれ頭の左右を通過することが特徴である。なお、ここでは仏跨ぎプレーヤーのことを「仏手[ブッシュ]」と呼称する。

地獄跨ぎは、セットした被打棒に対して身体を斜めに向けて打つ殴技であり、両腕とも頭の左右いずれかを通過することが特徴である。なお、ここでは地獄跨ぎプレーヤーのことを「獄手[ゴッシュ]」と呼称する。

どちらを選択するかは完全に自由だ。とはいえ、ふつうに考えて正面で打ち下ろす仏跨ぎのほうが簡単でコントロールも利く。実際、まっすぐに振り被りまっすぐに振り下ろすだけなのでミスも少なく、殴打型としての欠点も見当たらない。したがってKONBOU界においては今のところ、初心者も熟練者も仏跨ぎを選んでいる割合が圧倒的に高い。我が大宇陀神殴仏sでも八割方が仏手だし、全員が仏手のチームだってある。安定したパフォーマンスを発揮するためには、まず仏跨ぎを修練すべきだといえるだろう。

しかし、こうした明白な状況にもかかわらず、仏跨ぎではなく地獄跨ぎを選ぶ者たちが中にはいる。地獄跨ぎは、身体を斜めにして打ち下ろす関係上どうしてもコントロールが狂いやすい。そのため習熟にも時間がかかるのだが、だからといって仏跨ぎに比して威力が出るといった利点が特にあるわけでもない。あるとすれば、地獄跨ぎのほうが「かっこいい」というだけのことである。たしかに仏跨ぎは、KONBOUを始めた者がまず選択する殴打型であり、打形がシンプルなだけに素人臭く芸がないといえなくもない。それと比べれば地獄跨ぎは、使い手が少なく、打形としてすぐには真似できないような特別な印象もあり、それがこの殴打型を幾分高等なものにしている。

けれども、いうまでもなく棍棒飛ばしは得点を競う競技である。芸術点などというものはなく、どんな打ち方であれ結果が全てである。とすれば、ミス率が比較的高い割に相応の利点もない地獄跨ぎを選ぶのは、合理的でないばかりか、チームを敗北させうる身勝手な姿勢ともいえる。獄手を冷遇する監督がいてもなんら不思議ではない。つまり地獄跨ぎは、プレーヤーにとっても自身の立場を危うくする不都合な殴打型だとさえいえるのである。

ではなぜ、それでも一部の者は地獄跨ぎをやるのか。一言でいえば、ロマンだからである。忘れてはならないのは、KONBOUはスポーツなのであって、競争であると同時にエンターテインメントであるということだ。弱いチームは論外だとしても、単に強いチームより、強くて華のあるチームのほうが人を楽しませるのは明らかである。仮に、実力が同程度の仏手と獄手がいたとしよう。どちらを試合で優先的に使うかは監督の方針次第だろうけれども、試合により興を添え、競技により深みを与えるのは獄手に違いない。リスクを負いながら夢を追う姿のほうが美しく見えるのは世の常だ。とはいえ、下手くそな地獄跨ぎを見せられるくらいなら、仏跨ぎの潔さを見ていたい。

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