棍棒と里山


2022年、私たちは棍棒だけを並べた展覧会「大棍棒展」を開催しました。

来場者数は1,000人を超え、Xでは2度のトレンド入り。コロナ禍に漂う閉塞感を吹き飛ばすような棍棒の楽しさと朗らかさを多くの人に届けられたのではないかと思います。

しかし、私たちが目指すのは、単に棍棒の魅力を広げることだけではありません。それと同時に取り組みたい里山の問題があります。

国内の多くの里山で、戦後に行われた植林。それによって生まれた人工林が放置されたことで、多様な生態系が崩れ、里山は単一的な森に変わってきています。

全国でも、里山の保護活動は数多く行われています。ただ、私たちは「楽しめる活動」でなければ、継続はありえないと考えています。

「棍棒」を起点にすれば、この問題を楽しみながら恢復に導くための循環が生まれます。より多くの人々を熱狂に巻き込み、一緒に歓びを共有しながら、継続的に里山を守っていくことが可能になるのです。

200年間、より豊かで、多種共生の森となることを目指して私たちは棍棒運動を推進していきます。

皆様もぜひ一緒に、棍棒をぶん回し、豊かな里山をつくりましょう。


なぜ「棍棒」が「里山」を救うのか?

棍棒との出会い

こんにちは、全日本棍棒協会代表、東樫(あづま かし)です。

2020年12月、「里山制作」と呼んでいる稲作・畠作・養鶏・間伐などを行っていた私たちは、ある雨の日、木を伐倒する際に使う棍棒のようなものを製作しました。それが、「棍棒」との出会いです。

里山で活動をしていると、畑の杭を打ったり、斧の柄を取り付けるのに使ったりと、棍棒は何かと役に立ちます。切ってきた木で、道具として作ってみたのが、棍棒製造のはじまりでした。

本格的な棍棒製造は、2021年春頃からはじめました。棍棒に単なる道具以上の魅力を感じた私は、出来のいいものを現在の協会メンバーに渡しました。すると、予想以上に喜んでもらうことができました。その場に居合わせた人たちが、今の全日本棍棒協会の幹部メンバーとなっています。

全日本棍棒協会 幹部メンバー


「なぜ棍棒を作っているのか。なぜ作り始めたのか。」という質問を、これまでも幾度となくいただいてきましたが、いまだに簡潔に答えることはできません。簡潔に答えると語弊が生まれ、正しく伝えようとしても言葉足らずに陥ります。

「棍棒を振るえば分かる」としか、言い表せないのです。

とにかく棍棒に興奮し、魅力に取り憑かれた私たちは、全日本棍棒協会を発足。日夜、棍棒製造に明け暮れました。


大棍棒展のはじまり

なるべく多くの樹種で、様々な棍棒を作ったら面白いはず。そんな想いから棍棒をつくり続けた私たちは、2022年、大阪のKITAHAMA N GALLERYで「大棍棒展」を開催しました。

コロナ禍も2年目になり、楽しいこと、発散できる場が求められていることを感じた私たちは、自分たちが「かっこいいし面白い」と思った棍棒を、もっと多くの人に見てもらいたいと思い企画しました。

最初は「身内で楽しめれば」程度の気持ちでしたが、はじまってみると想像以上の反響がありました。

10日間の会期で来場者数は1,000人超。200本中100本以上の棍棒をご購入いただき、テレビ番組5社(新・情報7Daysニュースキャスター、大下容子ワイド!スクランブル、グッド!モーニング、ひるおび、土曜の4ちゃんテレビ)、新聞7社(京都新聞、高知新聞、山形新聞、山口新聞、中国新聞、沖縄タイムス、熊本日日新聞)で取り上げられ、X(Twitter)にて2度のトレンド入り(「大棍棒展」「試し殴り」)を果たしました。

この反響の大きさに私たちは歓びつつも戸惑いながら、しかしそれまでと変わることなく、様々な展示や棍棒を使ったスポーツの開発、そして里山制作と、地道に活動を続けてきました。


棍棒と里山制作

さて、そんな棍棒を中心に据えて活動を続ける全日本棍棒協会ですが、普段は里山制作団体としても活動しています。

2022年の「大棍棒展」を経て私たちは、棍棒がこの里山の問題を恢復するための循環を生み出すことに気が付きました。

展覧会での売上によって、より活発な山林間伐などの里山制作が可能となったのです。また「棍棒飛ばし」によって、森に意識が向くことで、体力のある若い世代の人手の確保にも繋がりました。

私たちは棍棒を軸とする活動を通じて、里山の楽しさや歓びを味わいながら、里山環境の制作活動を持続的に行い、多種共生の森を実現することを目標としています。


ほったらかしの人工林

2015年、最初は田んぼ・畑仕事がしたくて、大阪から奈良県宇陀市に越してきました。そのうちに、周囲の山が気になるようになりました。田んぼ・畑はそれだけでは完結せず、山とのつながりがあります。田んぼには山から流れてくる水を引き、畑には落ち葉を積んで堆肥にしたものを入れていました。
 
その山がどんな環境なのかを見てみると、その大部分は人工林がほったらかしになっている状態だと分かりました。戦後、国が主導で植林が行われました。しかし、そのスギやヒノキが伐採できるまでの50年間で、復興が進みその樹木が不要になってしまいました。建築に必要な木材は外国産のもの出回るようになり、国産の木材が売れなくなったことで山林の管理が放棄されてしまったのです。
 
人工林は、人の手入れが必要です。間伐(間引き)をしないと、良い木もだめになってしまいます。密植され葉が茂った木々はどれも太くならず、光が林の中に入らないので他の草木も育たなくなります。遠くから見ると青々として見えますが、一歩中に入るとスギヒノキいがいの草木がない山になっています。そこには、単調で面白くない森が広がっています。
 
その麓で、田んぼや畑だけをやっていることに、私は違和感を覚えました。もっと「里山」という包括的な環境に、関わっていかなければいけないのではないか。そう考えるようになりました。自分が生きている間にできることは限られています。田んぼや畑よりも、山の方が緊急性が高いと考え、山林整備に重点を置いた里山制作に取り組むことにしました。


面白い里山へ

このまま人工林に手を入れなければ、この土地に自生していた植物がどんどん減り、その植物を利用して生きている虫や動物たちもいなくなり、里山の多様性は失われる一方です。
 
今すぐに間伐をしたところで、その後に芽吹いた木が森の主役になるには、数十年以上の時間が必要です。それをある程度の面積、森といえるくらいの面積となると、途方もない時間がかかります。だからこそ、今すぐに、とにかく早く着手しなければといっこうに良くはなりません。
 
私は、単純にもっと里山を面白くしたいのです。歩くと、さまざまな植物、動物たちがいる、楽しい里山。そんな里山を目指してこれからも活動していきたいと考えています。

密植放置され真っ暗で単調な人工林に這いつくばって、ほとんど金にもならないであろうスギを自腹を切って地道に間伐していく。当面、それだけだ。だが、力の塊みたいなチェーンソーを揮って伐倒すること、そうして林冠に穴が空き、陽光射す林床に多くの樹が萌すこと——ここにもたしかに悦びが存在する。

— 東 樫(千茅) (@shhazm) April 20, 2021


棍棒が解決する課題

一本、木を伐採する度に、山林やその土壌に一筋の光が差し込みます。それは新たな樹木や、生物の生活圏を生み出します。しかし、それが資金を生み出すことはありません。

里山の保全活動は、ある程度の人員がいないとできない作業があります。山の間伐も、少しずつしか進んでいきません。保全活動は全国でも多く行われていますが、どこも「人を集めにくい」という課題を抱えています。それは「あまり楽しくなさそう」に見えてしまう、というのが理由ではないでしょうか。

「真面目さ」だけでは、限られた人しか集まりません。実際に、私は定期的に里山の制作活動として「誰でも来ていい作業日」を作っていましたが、そこまで人は集まりませんでした。

どうしていくのがいいのかと悩んでいたときに、伐採した木材を活用できる「棍棒」に出会いました。棍棒飛ばしの練習を定期的にするようになってから、里山制作にも人が集まるようになり、新たな人とのつながりも生まれました。

棍棒飛ばし大会

棍棒以外にも、方法はいくらでもあるだろうと思われるかもしれません。しかし私たちは、熱狂を生み出し、歓び楽しめる棍棒こそが最適解なのだと確信しています。この方法だからこそ、巻き込める人がいる。


楽しくなければ続かないし、人もお金も集まりません。

棍棒をきっかけに、楽しみながら里山の問題を恢復し、豊かになった里山からまた多種多様な棍棒をつくる。この循環を加速させ、継続することを目指しています。


やるからには、元気よく爽やかに、全力でぶん回したい。棍棒を広めて、その成果を里山制作に注ぎ込みたい。

私たちと一緒に、楽しみながら「棍棒」で里山を守りませんか。

参加してくださる皆様や私たちが生きている間に、棍棒運動と里山制作の成果が、直接的な利益につながることはないかもしれません。本質的な「リターン」は、きっと200年後くらいになります。しかし、その一端くらいはお見せできると思います。

私たちは、この「棍棒的方法」による環境保全活動を、世界にも拡げたいと考えています。

それがどれだけの影響を及ぼせるのかは、正直分かりません。しかしそれは、一歩を踏み出さない理由にはなりません。


この一振りが、どこに飛ぶか分からないからこそ、その甲斐があるのだと思います。一緒に棍棒をぶん回し、里山を楽しんでくださる皆様のご参加を、心から楽しみにお待ちしています。